普段使いの文章 生存確認用として

一週間以上更新がない場合は「残念」です。 monobe toshiyuki

システムの仕様の仕方が間違っている。それでは意味がないとは多くの人が言うだろう。

多くの人が書くことを書いてもしょうがないので他のことを書く。

教育学者 林 竹二が、教師は生徒の奴隷でなければならない、というようなことを書いている。「ようなこと」というのは、私の記憶では、奴隷と表現していたと思うのだが、ちょっと自信がないからで。

さて、奴隷と主の関係、奴隷は主人が何を期待しているか、しっかり見ていないと罰を受ける。常に主のことを考えている。林竹二はそれを教師に求めた。後年、彼は小学校や夜間学校を回り授業をしている。授業巡礼と呼ばれている、彼はその途上で病に伏し亡くなった
多分、彼の言葉で教職をあきらめた学生も多いだろう。
私の本意としては、あきらめるような学生なら始めからいらない、と思っている。

保育園もそうだ。子供達の奴隷であるとして、子供とつきあっていけるようでないと、仕事は努まらない。
主人、マスターの顔と名前をきっちり覚え、登園しているはずなのに、姿が見えなければ、私のマスターは何処にいらっしゃいますかと、マスターを探してまわるようでなければならない。
もしも、忙しくてそんなことは無理だと言うならば、仕事内容の見直しと、人数が足りないというならば、行政に人を増やすよう要求する、子供の奴隷として、それこそが当然の態度である。

私の古い友人は林竹二の言葉で教職につかなかった。実は私もである。いや、私の場合は頭が悪いだけだが

贖罪のように、彼の本は今も読んでいる