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久野収 神は細部に宿りたまう

久野収 神は細部に宿りたまう

久野収を語るだけの能力はありませんので検索していただくのが一番かと思いはするのですけれど、少し語ってみたい。
さて、戦前から戦後を生きた思想家であり、キーワードは「市民主義」と私は思います。
私たちは民主主義の国に住んでいる、まずはそう仮定して、香港のデモを考えてみる。
香港の人たちがデモを通して得ようとしているのは民主主義であり、民主化である。命や人生をかけて、それを獲得しようと戦っている。
この国の民主主義はそのように、なにかと戦って得たものかというと、そうではない。この国が戦争で負けてすぐに、戦勝国からいただいたもの、降ってわいたようにいただいた民主主義です。
久野収の市民主義とは、市民、つまり個が、もらいものの民主主義を受けいれるのではなく、自らがしっと取りにいくことでしか、本当の民主主義は得られない、それ全体を市民主義と呼んでいる、って私は考えています。
為政者の言葉を自分の言葉と勘違いするのではなく、個からはじまる市民となれ、ということかなと思います。

彼が書いた本、また、彼について書かれた本、それらを読んで思いますのは、いま現在の問題を数十年前に、既に指摘していたということです、私は彼の本がもし文庫本で、いまでも普通に書店に並んでいたら、いまの時代よりか、ちょっとはましな社会になっていたのではとよく思います。
現在、企業は優遇され、個人は不遇にあっている、輸出入による課税をやめるというのは、これによって貿易を活発化させようということでしょうけれど、よくよく考えれば、本来得られていたはずの税金という利益を放棄した、輸出入の課税で税金が国に入っていれば、それを国民に分ることも理論的には出来たかもしれないけれど、それが企業内に内部留保という形ではどうにもならない。
株式会社は上下下達、つまり、上が考え、下がそれに従うのが基本ですけれど、国の仕組みが株式会社化し、トランプや安倍のような、いうことを聴かないモンスター社長を生み出している。
久野収はその危険を以前から指摘していたように思います。
ですから、私はこれからどう行動していけばいいのかのテキストとして、久野収を考えたいと思っています。
何冊か読みましたが、いま、一番のお勧めは「神は細部に宿りたまう」三一書房 です。