普段使いの文章

こころ 穏やかに 緩やかに 一枚の写真と

桔梗の花

桔梗について、いくらか書いていたけれど、花そのものの写真を載せていなかったので、載せておく。

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先日、花の数を数えたら45個あった。

ちょっと、嬉しい。

従業員はロボットに置き換え? 飲食店で進む自動化 を読んでおもうこと

従業員はロボットに置き換え? 飲食店で進む自動化
http://www.cnn.co.jp/business/35048912-3.html

飲食店でロボット化が今後進むだろうという意見と、ロボット化が進むだろうけれど、それは緩やかに進むという意見が掲載されていた。つまりは従業員の給料が上がれば、経営者は従業員を解雇して、ロボットを導入せざるおえないということらしい。
昼過ぎ、久しぶりに回転寿司へと行く、残念ながらこの歳になって、まだ、廻らない寿司店に行ったことのない私は貧乏ったれである。
昼を廻っていた所為か、お寿司があまり回っていない、乾燥した鉄火巻きが四周していた。いまは、テーブル上のタブレットで注文するのが主になっているようだ。
確かにその方が作り過ぎないだろうし、注文が客の協力によってデジタルデーター化ができるので、注文の動向なども検討しやすいだろうし、従業員も少なくてよいだろう。
客もその方が気楽に居られるかもしれない。

ただ、製造業のロボット化が進み、産業用ロボットも低価格化が進み、今後、中小零細の製造業にもロボット化が進むかもしれない。加えて、サービス業まで雇用がロボット化によって減れば、多くの人たちは、どう生活すれば良いのだろう。

従業員は必要なくなる。当然のことながら、従業員は解雇され、そして、社会に出た若者には就職先がないという事態に向かう。
ロボット化されたファーストフード、ファミリーレストランの前で、お金がなくたむろしている人たちという構図が浮かぶのだ。

科学技術が人々の生活を向上させると無邪気に語られる時代は、平成の最初の方で潰えた気がする。
そして、私は競争社会には懐疑的だ。国内だけの競争にとどまらず、世界中で競争しようというグローバリズムやTPPには反対だ。
競争により、革新や新しいチャンスが生まれるのだ、新しい雇用も生まれるのだとこぶしを振り上げる方も多いかもしれないが、革新や新しいチャンスを得られるのは大きな資本であり、新しい雇用とは、到底、その仕事では生活していくことが不可能なほどの賃金の安い仕事が増えるということだ。

多分、いくつかのまれな成功例をだしに、明るい未来を語る人たちもいらっしゃるだろうけれど、あなたは、あなた方は、一個の存在ではなく、親が居り、祖父祖母が居り、先祖という存在があり、そして、子供、孫と存在するかもしれない、時間の流れの中での、個であると同時に、連なる命の、その一つの経過でもある。
だから、あなた、あなた方は、一連の命の代表として、これは本当に良いことなのかどうかを見極めて命を連ねていく責任があると思う。

第18回 日下部美術教室展へ行く

ほんの一時間ほど、旅をする

第18回 日下部美術教室展へ行く、京都市美術館別館。岡崎界隈に行くのは久しぶりだ。
京都会館は、その名前を変え、工事中となり、たくさん、並んでいた出店も消えた。原色が消えて整った顔の都会になってしまったように思う。

別館には二度、入ったことがある。中学、高校は合唱部に在籍していたので、コンクールの控え室になっていたとき、もう一つは昭和の子供たちの笑顔を写した写真展のとき。

教室展は二階。
一階から二階へと階段をのぼると同時に私の旅が始まった。
異国の風景が幾つも連なる。石と煉瓦の質感に飲み込まれる。
異国の風景が描かれた絵が並んでいるのだ。

私は、絵は全くの門外漢だけれど、クロッキーやスケッチブックを片手に旅に出たいと思うことがある、Aの音叉をポケットに。
ここに音叉があれば、まさしく私は夢の異国を旅している。

この共感は写真では味わえないだろう。私は現実にある異国の風景を旅しているわけではないのだ、描だされるその時の感動が、現実の風景に強烈な色彩を与え、私は共感という手綱を頼りに旅をしているのだ。。

子供たちの絵も楽しかった。賑やかな色彩、子供たちにはこの世界がどんなふうに写っているのだろうと思う。それに空き缶を模した絵は、不思議と惹きつけられた。
空き缶という規格品が様々に姿を変え、個性豊かになる。面白いなぁと思う。

実は、仕事以外では、私はかなりの人見知りなので、帰りにご挨拶せずに帰る、それだけが申し訳ないと思う。

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今年、最初のホソバオグルマの花

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関心のない人にとっては、ただの雑草が花を咲かせたというだけのことだけれど、関心のある人にとっては、おおっ、花が咲きましたかっ!と思わず拳に力が入る、そんな花だったりする。

増えたらいいなぁと思う。

川内原発、審査で安全性担保せず 正直者ではあるか

川内原発、審査で安全性担保せず 原子力規制委員長
http://www.47news.jp/CN/201407/CN2014071601001601.html

自身のこれまでと、いまと、これからを駆けた言葉を発することが出来ない、責任感無しという観点で見れば、この場で語る人物としては失格だが、百歩譲って、正直ではあると思う。

気候の変動を始め、大きな地震が起こるとかどうとか。もしも、東日本大震災規模の地震津波に襲われて、第2のフクシマが生じれば、あんたが安全だと言ったんだと槍玉に挙げられるのは間違いなく、到底、安全ですとは言えないだろう。
結局のところ、無理を通そうとするから、欺瞞が生じるのだなぁと改めて思う。
いまの社会の仕組みに経年劣化が生じている気がする。
出来るだけたくさんの人があまり不満を持たない仕組みを再構築しなきゃならない瀬戸際まで来ていて、原発の再稼動が大きな分水嶺なのだろうなと思う。彼岸に渡りきりませぬようにと思う。

地方を豊かにするには 道後温泉の対応は正解だと思う

地方を豊かにするには、というか、地方が豊かである指標に、その地方にどれだけの現金が存在しているか、という、その量で地方が豊かであるか、そうでないかを判断することが出来ると思う。
なお、銀行預金のほとんどはその内ではなく、財布の中のお金や箪笥預金など、その地方に存在する、お札や小銭の総計だ。
そういった、すぐに処分できるお金の量の多少で、その地方の豊かさを判断できると思う。地方通貨に私が興味を持っているのは、その辺りが関連するのだけれど、それについてはいずれ。

さて、

大人げない対応をしてしまった「道後温泉」- オールアバウト(2014年7月14日14時45分)
http://news.infoseek.co.jp/article/allabout_af_4540

既存の温泉業者が新規業者に源泉を使わせない、というのはありだと思う。
特に格安の湯快リゾートが進出すれば、その金額が温泉料金の基準になる、ひょっとしてならないとおっしゃる方もあるかもしれない、サービスの質だとか、いろんなことをおっしゃって、そんなふうにはならないよとおっしゃる方もあるかもしれない、でも、はっきり言う、人は安いところへと流れる、確実に流れる。
じわじわと、他の温泉業者も金額を下げていくだろうし、あからさまでなくても、特定の時間や曜日は安いですよ的なことをするだろう。
背に腹は変えられないとか、食べていかなきゃならないから、とか言って、安売りを正当化しようとするのは間違いない、そうはっきりと書いておく。
結果、収入が減ることで、その地方に存在する現金の残高が減る、地方を豊かにする、とかす衰退してしまうというのは、ようは、その地方に現金がどれだけあるかによって左右されるのだ、身も蓋もない言い方だけれど。

そして、全国展開している会社であるということは、その地方からお金を吸い上げるということだ、吸い上げられれば、その地方にある現金は減る、もちろん、従業員の給料という形でいくらかは残るだろうけれど、本来なら、もっと、その地方に現金が残っていただろうと思う。

自由競争といえば、聞こえがいいが、弱肉強食だ。
全国展開している会社に地元温泉業者が、その地方の豊かさを守ろうとしている、それが今回の記事を、違った視点から見た姿だと思う。

ル・モンド・ディプロマティーク日本語・電子版 格差拡大が原因で経済は停滞しているのか? 自由主義者たちの抱く恐ろしい疑念
http://www.diplo.jp/articles14/1403liberaux.html

自由競争は必ずしも正義ではなく、既存の業者が必ずしも悪ではない。
上のアドレスは、参考にどうぞ。

原発再稼働は「国民全体の願い」 経団連・榊原定征会長 分母の大きい人だなと呆れる

原発再稼働は「国民全体の願い」 経団連榊原定征会長

http://www.huffingtonpost.jp/2014/07/08/sadayuki-sakakibara-nuclear-power_n_5568861.html

世の中には自分の意見や自分の身の回りの人達の意見が国民大多数の意見だと勘違いされる方もいらっしゃるかもしれないが、例えば、ごほげほ、風邪かな、さて、この経団連会長は本当にそのようにおっしゃったのだろうか。

百歩譲って、議員ならば、選挙で選ばれた以上、ある程度の国民の代表といっても、まっ、仕方がない。

しかし、彼はそうではないし、彼は国民全体の願いなどと言うことの出来る立場にない。

よくも、まぁ、言えたものだ、というか、分別のある大人であるなら、年相応判断力があるならば・・・、というか、彼の発言は不思議だ。

しかし、言い換えれば、彼にとって、彼と同じ意見でないものは、「国民に非ず」、つまり、「非国民だぞ」と恫喝したいのかもしれない。

つまりは、国民のいくらかを、多分、多いのではとは思うけれど、ふむ、そんな彼の意に沿わないいくらかの国民を、彼の言葉は恫喝したとも言えるかもしれない。
また、そういう雰囲気を創りだそうとしているのかもしれない。

福島県での原発事故、崩壊といっても良いかもしれないけれど、既に3年を過ぎたけれど、目処が立たず、なにやら地中を凍らせようとしたらしいけれど、いまのところ、上手くいっていないご様子。

彼自身、原発は安全だとは思っていないだろう。もしも、フクシマ級の原発事故が新たに起こって、被害甚大となれば、もう、この日本には住めないとなるかもしれない。その心配はしておいたほうが良い。
彼は多分、お金持ちで外国にも資産があるだろうし、日本に住めなくなったなぁ、それじゃあ、アメリカかオーストラリアにでも住むかな、といった選択肢もあるだろうが、貧乏ったれで、英語も覚束ない私には、外国で悠々自適とはいきませんので、余計に困ったことをおっしゃる人だなと思うわけだ。

 

この記事が突然消えたら、非国民めと恫喝され、あたふた、記事を消したのだとご推断くださいませ。

ノビル

工場の前のアスファルトの割れ目に今年もノビルが5センチほどの高さで成長している。
以前から気になっていたのだ。出来うるのなら、鉢に植え替えたい。
思い切ってタガネでアスファルトを少しばかり削る。
二本、育っていたので、一本は鉢に植え、もう一本はそのままにし、穿った穴にホームセンターで買ってきた野菜用の土を入れる。

一本抜いた瞬間、強烈な葱の匂いが来た。

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投稿の「9条守れ」俳句ダメ さいたま市掲載拒否 誤解される っていうのは

投稿の「9条守れ」俳句ダメ さいたま市掲載拒否 誤解される っていうのは

それってありですか、と思う、というか、苛立つ。
さいたま市大宮区の三橋公民館が発行する月報に9条守れの一文が俳句にあるため、掲載を拒否されたということ。

三橋公民館、つまりは公共機関である、そして、公務員が働いている。
日本国憲法って、法律ですよ。公務員は日本国憲法を守るのは仕事をしていく上で大前提であり、職種によっては、日本国憲法を守ると宣誓までするのではないのですか。
公共機関がその日本国憲法の一条を「守る」という一文を理由に拒絶するのは理に合わないのではないですか。
この国は法治主義、法律によって規律された社会ではないのですか。
その時々の、為政者の考え方や周りの雰囲気に根本である日本国憲法を否定したり拒絶するのはありですか。
それで、公務員と言えるのですか。日本の国に住む者と言えるのですか。
こんな、基本的なことがいい加減にされて、あまりの苛立ちを隠せずにいるのです。

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「明日戦争が始まる」を読む

「明日戦争が始まる」を読む

「明日戦争がはじまる」作者が著作権放棄へ 「拡散や引用がなければ読まれなかった」
http://www.j-cast.com/2014/07/02209355.html

「明日戦争がはじまる」という詩が注目されている 「新宿焼身自殺」きっかけにツイッターで拡散、ラジオも紹介
http://www.j-cast.com/2014/07/01209272.html?p=all

明日戦争がはじまる
https://twitter.com/sechanco/status/425897118599901184

詩というものは、凄いなぁと改めて思う。たった、数行でこんなにも思いを詰め込むことが出来るのかと驚くのだ。

「隣人が殺人者に変わる時 加害者編」ジャン・ハッツフェルド著 西京高校インターアクトクラプ訳 かもがわ出版を読んでいる最中。
テーマは同じだ。

僕達はジェノサイドの加害者にならないように、戦争加担者とならぬように、命の大切さというものを、改めて受け入れなければと思う。

ゆうすげ

 

一夜の花、ゆうすげが咲く。

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鉢に植えていれば、明るいところで写すのだが、地に植えたので、ちと、暗い。

ルワンダ虐殺、民衆の告白 京都・西京高生が証言翻訳、出版 を読み始める

人間の本性はというと、性善説性悪説を思い浮かべるだろう、そして心優しき人の多くは性善説を、シニカルな人は性悪説を支持するかもしれない、でも、それは表面を覘いているだけで、共に間違いだと言い切ろう、人の本性に善も悪もない、あるのは、「怠惰」だけだ。
怠惰がその形を変え、時には善に、時には悪に見えているに過ぎない。
それなりに年を食い、適当なところでバトンタッチしてやらないと、次の世代が腐ってしまう、そんな思いが多少ならずあり、正直な言葉を祝いとして書いておくようにしようと、このところ、心がけていたりするのだ。

ルワンダ虐殺、民衆の告白 京都・西京高生が証言翻訳、出版
http://www.kyoto-np.co.jp/top/article/20140610000015
http://www.kamogawa.co.jp/kensaku/syoseki/ra/0685.html

注文していた本が入荷したと連絡があり、書店に受け取りに行く。
大のアマゾン嫌いゆえである。

さて、読みかけて、その重さに一呼吸。学生の頃、誰だったかの言葉を思い出す。ドストエフスキーとか、分厚い本は今のうちに読んでおけ、歳をとると、そういった本を読む体力がなくなるぞ、多分、永井先生辺りの言葉だったろうか。

内容が重くて、それなりに厚みのある本を読む、本当に体力がなくなってしまったので、ぼちぼち、読もうと思う、なんていったって、私は怠惰なのだから。

隣人に殺害される、されるかもという体験は、私自身は経験していない、だが、80年以上前の私の父や祖父の世代は、それに近いものを経験しているということを忘れてはならない。
太平洋戦争時、非国民との烙印を押されればどうなったか、そして沖縄戦ことを読み解けば、お互いが殺人者にならないよう努めていかねばならない、そう思うのだ。

続きは、読み終えてから書くつもりなので、書かないかもしれない。